講座情報

第2期 第2回 山地酪農とエシカル(倫理的)消費

2020年6月13日

講師:中洞 正
山地酪農家 / 株式会社起業農業研究所なかほら牧場 牧場長

1952年、岩手県宮古市生まれ。東京農業大に在学中、猶原恭爾が提唱する「山地酪農」に出会う。卒業後、出身地に近い岩泉町で酪農を開始。通年昼夜放牧、自然交配・分娩によって健康な牛を育てる一方、牛乳・乳製品のプラント設計から商品開発、販売までの経営手法を確立する。著書『幸せな牛乳からおいしい牛乳』(コモンズ)、『黒い牛乳』(幻冬舎)ほか。

・子ども時代は電気や水道もない山中で自給自足の生活を送る。牛が大好きな少年で、「山の景色と牛の可愛さが酪農の一番の幸せだ」と思ってきた。学生時代に「草の神様」と呼ばれた猶原恭爾(なおはら きょうじ)博士が提唱する「山地酪農」と出会う。「このやり方は日本本来の酪農だ」と確信をもち、今日までやってきた。3回ほど「再起不能か」と思う苦境に陥ったが、消費者の皆さんが助けてくれた。

・日本の国土面積の7割を占める山は放置され、災害などを引き起こしている。2016年の台風10号の時は、うちの牧場の周辺でも道路が流失し、整備に1カ月以上かかった。森林整備が十分でないためだが、(山地酪農によって)山全体に産業を興すならば、林業と牧畜のシナジー効果をもたらすだろう。

・酪農団体のホームページには、どれも放牧の写真が使われている。学生時代、北海道中標津町の酪農家に1カ月の実習に向かう時、列車から見える草地にはどこも牛がいた。しかし今は、乳を搾る牛が放牧されている景観を見たことがない。つなぎ牛舎ではウンコにまみれる中で乳を搾り、フリーストール牛舎も密飼いで自由に運動できないところが多い。

・日本の畜産は戦後、アメリカの余剰穀物戦略によって、強引につくられた産業だ。学校給食で牛乳を飲ませ、パン食によって食を洋風化させ、(米国産の)余剰穀物を消化させた。その穀物を家畜の餌にして、今では乾草まで輸入している。そして、通常の商慣行ではあり得ない、農協による生乳の全量無条件委託販売が行なわれているのが実態だ。

・工場型畜産は動物を虐待しており、倫理・道徳的にも許されない。今、一般に飼われている乳牛の供用年数は4~5歳だが、山の中で自然に生活すると19歳まで生きられる。牛には角があるものだが、牛舎の中で飼うと角が邪魔になる。デンマークでは2025年から、牛のつなぎ飼いが禁止される。

・そもそも酪農は、モンゴルやスイスなど穀物生産に適さない地域で行なわれる農業。穀物の採れないところで人間の食料を確保するために成立する。世界では8億人が飢え、ウモロコシを食べられない中南米やアフリカの子どもたちが餓死している。その一方で、日本の牛は大量の穀物を食べさせられ、病気になって死んでいく。これは〝反社会的な産業〟である。

・健全な山なくして健全な国民は育たない。なかほら牧場では、さまざまな環境の山づくりをしている。牛が下草を食べると人間が入りやすくなる。牛が木の葉を食べると地表に太陽光が降り注ぎ、在来種の野シバが生えてくる。地方に産業を定着させるには、山を活用すること。スイスは、林業と牧畜が生みだす美しい景観を売りにする国だが、日本の山はそうした環境をより創りやすい。

・うちの牧場にきた専門家は「草がないんじゃないか」と言うが、本来の草地の姿は〝緑の絨毯〟の景観だ。木を伐って、太陽光が当たると野シバが生えてくるのが、日本の放牧地の本来の姿である。野シバの根毛は地下40~50㎝まで伸び、匍匐(ほふく)茎の総延長は20~30mにもなる。そのため、16年の台風来襲時、牧場の野シバは全く影響を受けなかった。

真冬も放牧地に向かう牛たち

樹木の伐採後、牛は下草や木の葉を食べる